スイセンをニラと間違って食すると……
訪問したのは 「芍薬の一卜夜のつぼみほぐれけり」(久保田万太郎)の旬が似合う時期、新緑の美しい研究所会議室である。 最初に食品薬品部長の小川廣氏、同部主任研究員の兼俊明夫氏、同部薬用資源科長の姉帯正樹氏が一堂に集って、素人の質問に丁寧に応えて下さった。その後、健康科学部温泉保健科長の内野栄治氏が会議を終えて参加し、「温泉」にまつわる話題を提供してもらった。全体をコーディネートしてくださったのは、リード文にある中野氏である。
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研究所のホームページが充実している。それを見ていれば、研究所の業務内容のおおよそは理解できるようになっている。その中に「健康広場・身近な植物の意外な素顔」という項目があって、植物名が44並んでいる。
そこには 「北海道の野山にはトリカブトのように山菜と間違えて食べると命にかかわったり、ツタウルシなどのように触れると皮膚炎を起こす植物が見られます。しかし、野山に限らず、庭木や室内に飾ってある植物による中毒や皮膚炎も意外に多く見られます」と植物名・科名・有毒部位・主な症状が表記されている。
最初にそこに目が行ったのには、訳がある。今春の 「ニラとスイセンを間違えて食べてしまい、病院に担ぎ込まれた」というニュースが記憶に残っていたからである。5月、北海道にやってきた山菜探りの季節は、迷子になった話や山で遭難した話などが毎年のようにニュースとして繰り返される。その中でも、ニラとスイセンの間違いは、まさに身近な出来事だった。確かに似ている。
しかし、スイセンが食用植物になっていないのは、理由があったのだ。そのことを、このニュースは教えていた。そして、観賞用の花と食用の植物を近くに植えるという行為も避けるべきことであったことについても改めて私たちに注意を喚起していた。生活情報というのは、日々の生活に直結しているのだ。その大本にあるのがこの研究所でもある。
というのも、正確な情報としてニュースになるまでの検証は、ここ北海道立衛生研究所で行われた。手順としては、保健所からもたらされた映像、そして現物での確認、それから報道機関への公表というものだった。その鑑定を行ったのが、食品薬品部薬用資源科長の姉帯氏である。
その姉帯氏は「やせたスイセンの葉と肉厚なニラの葉でしたから、区別はつきにくかったのでしょう」と、現物を目にした人の感想を語ってくれた。
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先人たちが持ち込んできた薬草の数々
姉帯氏には、小誌「しゃりばり」でのポトフ欄の初期から登場してもらっている。現在その寄稿は、同所のホームページでも読むことができる。植物の写真もカラーで掲載されているので、「しゃりばり」の白黒で見るよりも理解が早い。
タイトルもそのものズバリ。今回の訪問でお聞きしたかったことがすでに過不足なくそこに書かれている。
「北海道は薬草の宝庫」というものだが、その宝庫を道民はどのように開け、その収蔵されている宝をどのように活用しようとしているのか。金銀の財宝であれば、掘り尽くした段階で資源は枯渇する運命にある。が、幸いなことに、植物は栽培することができるので、持続可能なありがたい宝である。
もともと、「薬用資源科」そのものは、北海道が道産生薬の安定供給・品質向上などを目指した昭和45年からの取り組みに連動して、翌年、設置された部署である。爾来、北海道保健福祉部医務薬務課や独立行政法人医薬基盤研究所薬用植物資源研究センター北海道研究部(名寄市)などと研究を続けている。
そのために薬用植物園と温室が設置され、約3000m2の土地に約700種の植物を栽培している。すでに35年の時間が経過していることになる。
「民間薬」として利用される古典的な定番植物としては 「ゲンノショウコ」 「ドクダミ」「センブリ」がある。「三大民間薬です」と姉帯氏。北海道でも江戸時代から「オタネニンジン」「アマ」「ハッカ」「シロバナムシヨケギク」が盛んに栽培された歴史がある。(これらの中には明治期の移住者たちだけではなく、それ以前からも北海道に持ち込まれていたものもあるらしい。)
現在は「トウキ」「センキュウ」「シャクヤク」「ダイオウ」「オタネニンジン」「ハナトリカブト」「アカヤジオウ」「カノコソウ」「ヒロバセネガ」「ムラサキ」など十数種が栽培されていることや、その他、約100種類が試験的に栽培されていることが姉帯氏に寄稿いただいたものから分かる。 薬草の栽培が、地域の代表的な産業までになっている、とは言い難い面もある。何しろ、他の農産物と同様に国際価格競争という市場経済の真っ只中に放り込まれている環境にあるのだ。薬草は別扱い、ということにはならない。日本で消費される生薬の9割以上は中国産である、という。
そうした国際的な経済環境に晒されながらも、道内では、訓子府町、北見市、新得町、名寄市、池田町などで寒地型薬用植物の代表的なものが栽培されている。しかし、大生産地・中国の供給動向に左右されないためにも、国産薬用植物をしっかりと確保しておきたいのは、道民に限らず国民にとっても変わらない願いだ。ここでも、「薬草自給率」という着眼点があってもいいのではないだろうか。
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話題になった北海道産原料「エゾウコギ」
一時、マスコミが随分と取り上げた「エゾウコギ」は、北海道東部に自生しているというので注目されたが、その起点はオリンピック選手が愛飲していた、というような情報から始まったと記憶している。
中国でも「エゾウコギのひとつかみは草いっぱいの黄金にまさる」と16世紀の書物「本草綱目」にあるそうだが、白髪三千丈のお国柄だから額面通りには受け取りにくいにしても貴重な植物であることには変わりがない。
このあたりの話になると研究者の方々は、科学者らしい冷静な判断を示す。ロシアや中国の一部で使用されるエゾウコギは、根の皮の部分だというのである。資源が少ないというので利用部位が他にもないものかと、エゾウコギの根以外についても5種類くらいの成分分析をした。少しでも多くの資源確保を狙うのは、誰でも考える話だ。その結果からは、根以外の部分からも根と遜色ない成分構成を示すことが分かった。
しかし、である。伝統的に使用され、長い年月をかけて積み重ねられてきた経験と、近代的な分析結果で得られたものをすぐに同一視することにはタメライが残る、とおっしゃる。検査した項目以外にもなんらかの効能が潜んでいる可能性はあるので、いくつかの検査結果だけでは見落としているものがあっても不思議でない。そのような慎重さが必要ではないか、という指摘である。
社会には私たちが解明できていない多くの事実があることへの謙虚さと、現代科学を妄信することへの警戒心を持つことも常識の一つとしたいところである。
小川氏、兼俊氏が口をそろえておっしゃるのは、衛生研究所の機能としては、「持ち込まれる相談や素材について、成分が国の基準に照らして合格するものであるかどうかなどをチェックすることが主業務になるため、ものを新しく作るとかビジネスを強力に後押しするということにはなりにくい機関であることと、むしろ、世に出しても問題がないかどうかという安全性を確かめる機関である」ことを理解してもらいたい、ということである。
本誌で紹介した 「麻」(06年3月号・No.289)も、栽培を止めてから数年後に芽を出してくることがあるという。このように植物の生命力に対しては、より慎重な対応が求められても当然なのだろう。小川氏は、「厳格な管理栽培をしていても自生しているものとの交雑という可能性をゼロにすることの難しさ」も指摘されていた。もちろん、世間で言われているいろいろな議論も承知しての発言である。
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商品化のハードルを甘く見ないこと
麻については、国の規制政策との関係があるのだが、北海道の各地で見られる白樺の木から得ることのできる「樹液」については、各地で商品化が試みられている。
兼俊氏も飲んだ体験を通して、自然のもっているほのかな甘みを現代人がどこまで味わうことができるのか、天然ものの魅力を熟知しながらも商品化に関しては、加工技術を駆使しなければ、濃い味に慣れた人たちには受け入れにくい商品になってしまうのではないか、と述べる。
世を挙げての健康食品ブームであるが、まがい物も多く、それらのものとの違いを明確に表現するための文言についても規制が強められているのが現状であることや、研究所に持ち込まれる相談案件についても話していただいた。
例えば、効能をどのように伝えるのか、機能性食品についてはやや規制は緩いにしても、厚生労働省の認可を受けるだけのデータはそろえなければならないこと、形状が医薬品に似ていると、それだけも大きな制約を受ける、といった研究所にすれば「イロハ」の「イ」程度のことも相談者にはお伝えしなければならない。事業化を夢見る人たちが後で苦労しないためにも、それが親切心というものなのだ。
兼俊氏は、「食品として売り出すのであれば問題がないものも多いが、その植物・農産物を化粧品の原料にしたいのか、医薬品にしたいのか、目的に応じて毒性検査や安全性の確認などのプロセスが必要であることを説明すると、引き下がってしまう相談者たちが多いのも事実」と話された。
化粧品会社でも膨大な臨床例を積み重ねて健康障害を起こさないようにするために十分な準備期間を持っている。さらに、製造物責任などに対してどのように対応するかなどの体制確立も必要である。
これらのことをトータルで考えると、道内企業が製品化まで行おうとすることの意欲は頼もしい限りだが、原料供給という立場での事業展開も身の丈を考えたものとして一概に責めるべきものでもないのだ。企業としての組織力、資金力なども問われてくる製造業に対しては、周囲の者もまたより深い理解力を示す努力が求められているように思えた。
小川氏は、「今の医療費抑制という社会動向から大手製薬会社は、医薬品だけで利益を上げることが難しくなってきていますから、病院に行く前の市場に目を向けて健康補助食品市場に乗り出す」必然性を解説してくれた。
独自のデータ蓄積と大きな資本力をもった食品メーカーのアミノ酸の一種を寝る前に毎日飲んでいただくことで、病気になってから服用してもらうよりもトータルで多く購入してもらう戦略は、消費者側の入院を避けたいという心理と合致してマーケット的に歓迎される構図が出来上がっているのだ。
そうした全体状況を知った上で、道内で健康産業の一翼を担う企業には北海道の生薬を始め、未利用の植物についても活用の道をさらに探っていってもらいたいものだ。
北海道の地の利を活かす健康産業に
生薬原料を北海道で契約栽培をする製薬メーカーは、供給源を集中させないようなことも考えているのだろう。何しろ、海外原料については、野菜や穀物に見られるような農薬問題が薬用植物にも共通することが予測される。供給源を経済性のみの観点から一国に集中するのは、この国のエネルギー政策にも見られるが自らの立場を弱くすることになってしまい、賢明な選択とはいえないだろうし、そのことを北海道はもっと上手に∞効果的に ̄Rしたいものだ。
減反政策の時に転作作物として薬草を手がけた農家も多いそうだが、収穫物の品質を高めるためには、国の基準と照らし合わせるこの研究所との協力関係も欠かせないだろう。野菜などに使われる農薬は、本州に比べ北海道は冷涼な気候を背景に格段に少なく、安全性の高いものであることをマスコミで積極的に発言されていた野菜博士の故・相馬暁先生を思い出す。
今回のコーディネート役を引き受けてくださった中野氏が補足してくれたのだが、北海道の気候条件が、北海道のニワトリに高い健康度をもたらしているそうだ。その根拠もしっかりデータに基づくもので、ニワトリの体内残留医薬品を検査した際に本州のニワトリと比較するときれいな体であったことが証明されたのだ。それは、涼しい気候が可能にしたことだが、本州のように病気を防ぐために多めの医薬品を授与しないで済ませてきた結果だ。
冷涼な気候は、野菜だけではなく家畜にも北海道育ちの優位性を発揮させているのだった。こうした話、事実を語る北海道薬草応援団のような支援グループが誕生してもいいように思えてきた。山菜探りにこれだけ熱心な道民なのだから、その可能性はゼロでないと思いたい。続いて、「温泉」の話に移る。
温泉王国の北海道として
わざわざ菖蒲湯に入るために近くの温泉に出向いたことがあった。季節感もさることながら昔から言い伝えられているらしい菖蒲湯の雰囲気に何かのご利益を求めていたのかもしれない。
温泉にでも入ろうか、という行動がすでに気分を「ゆっくりモード」に切り替えているのだろうが、湯船に身を浸す快適さは、極楽・ゴクラクというつぶやきに反映される。
その温泉を長く研究されている内野栄治氏は、健康科学部温泉保健科長の立場にある。
研究者の立場から見る温泉の顔は千差万別らしい。とにかく、一つとして成分の同じ温泉は皆無とのこと。それだけバリエーションがあるのだから、温泉に入りたい人は自分に合った温泉を自分で探すことが重要とアドバイスをいただいた。
また、人は慣れてくると、そのあたりの直感も磨かれてくるらしい。文字通り裸になって、人間も野生動物の感性を取り戻すのだろう。温泉場で消えかかった成分表に目をやらなくても、自分に良い温泉かどうかが直感で分かるというのも素晴らしい。それ自体が温泉に出向く効用かもしれない。
確かに北海道は温泉が多い。ただし、土地は国全体の22%を占めているのだから多いのは当然、という見方も成り立つとのこと。お国自慢は、ほどほどにということだろう。
そうではあるけれど、北海道の人口は国の約4.4%、人口密度は全国平均の約5分の1という土地柄のところに、温泉地と源泉の数で全国の約1割を占め、総湧出量で2位、入湯客数で1位となれば、北海道が温泉王国と言っても誤りにはならないだろう。
温泉が波及する地域貢献には、観光客の誘致、保養地としての評価、地熱を利用した地域暖房、ビニールハウスなどへの利用までは直ぐに理解できたが、「熱」を利用する点では養殖・養魚も対象であることには少し驚いた。自然熱ということでは、その利用範囲はいくらでも広がっていくのだろう。
既存温泉施設も活用方法は多様
さて、ごく一般的な利用として大型の入浴施設は、全道の各自治体が競うようにして建設したこともあって、現在はほぼ全道にいきわたったらしいが、その利用方法は画一化したものが多いのも事実。建設局、市民局などの名称は市町村によって違うのだが、これは、施設の建設を担当する部署が建設局などのハード系のところであることと関係がありそうだ。
もし、自治体が作った温泉施設が、市民局とか福祉課というような住民サイドにより近い部署の運営だったら、もっと活用方法も変わってくるのでは?とは内野氏の見方だ。
利用者側からの発想を活かすならば、もっと健康を増進させるためのプログラムが各温泉施設で工夫されていくようになるに違いない。そのためには健康作りのために温泉施設の活用について指導ないし提案する人材の育成もあわせて取り組むことが求められる。
温泉療法というと日本では、科学的根拠の乏しい民間療法というカテゴリーに括られてしまって、欧州のような医療の一環としての評価がなされていない現状がある。内野氏は、それを残念がる。温泉を北海道民の健康増進にもっと活用するならば、持病を癒すことや、慢性疾患への効果、リハビリテーション機能、予防医学にまで応用が可能となることに自信がある……そんな表情で温泉の魅力を語る姿にはプロの自負心も漂う。
温泉地に専門医を配置するドイツなどは、処方箋をもらって指定された温泉地に療養に出かけるシステムまで出来上がっているそうだ。「○○泉質は○○に効きそう」とか、「○○温泉は○○に効果がありそうだ」という表現は安易に使えないことは、当然としても、積極的な温泉活用に及び腰のわが国とは雲泥の差がある。
温泉に入って副作用がある、というのは基本的には聞いたことがない。ただし、プロ中のプロである内野氏は、「細かなことを言えば入浴禁忌の病状の人もありえます」と、温泉利用の留意点を付け加えることを忘れない。最近、注目されている代替医療にも、もっと研究対象として温泉療法を取り入れる道があっていいだろう。
温泉の効能や良さは、温泉に行くことで出会う風景、食事、仲間など、その人を取り巻くあらゆる要素が統合されて湯船のひと時が思い出深いものになっていくのだ。温泉水の成分だけで魅力を生み出す「魔法の水ではない」とおっしゃる内野氏のコメントは、説得力があった。
「温泉」周辺、あるいは「温泉」を支える学問には、地殻のことや地質など、地下水としての温泉水だけに止まらない広がりもある。全国にいくつかあった温泉を学問的に追究している大学の研究者も少なくなってきているそうだが、温泉王国の北海道でこそ、この分野の研究をより進化させてもらいたいものである。
従来だと市町村・保健所の仕事のように思われていた生活習慣病の研究も、この研究所で手がけていることを中野氏が紹介してくれた。同研究所のホームページにも「食生活と健康」のコーナーがあり、食生活の見直しのための研究調査も進行中とのことだ。これに多面的な「温泉」利用の研究も追加される時代が来るかもしれない……とは素人の淡い期待だが、北海道にある自然資源をもっと掘り起こすのは、知的資源を誇るこのような研究所に期待されているようにも思われる。
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ベンチャー企業と組むプロジェクトを手がける最近の大学のような組織とはこの研究所は適うのだが、一般の人や企業の人たちからの問合せに親切に応えることも大事な仕事とのこと。
対応によっては、公的機関のお墨付きをもらった、と勘違いする人も少なくないらしい。ビジネス化への意欲と夢をお持ちの方々に共通する先走りしがちな起業家たちに想いを馳せつつも、事業化までのハードルの存在を説明する研究員の方々に信頼感を覚える取材であったことと、健康産業の育成を基礎の部分で支えている機関であったことを最後に記したい。
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